
こんにちは。Yamapy☆です。
40代になり身近な人の高齢化が進む中で、家族や介護のこと、自分自身のこれからの生き方などいろいろ考える機会が増えたので、出来事をまとめました。
■身内の法事に参列して思ったこと
2025年3月、私の母の妹が亡くなりました。
満71歳。
大人になってからはたまに法事で会うくらいでしたが、やはり身内の不幸というものは悲しいです。
3年前に旦那さんに先立たれ、その後は一人で暮らしていました。
突然の訃報でお葬式には参列できず、5月に行われた四十九日の法要に出席しました。
天国で母さんや旦那さんと会えるように祈りました。

少人数の穏やかな式のあと、家の整理を手伝いました。
空き家になるため家は売却されるそうで、遺品で使えそうなものは形見分けすることに。
どの品も丁寧にしまわれていて、物を大切に使われていたのが伝わってきました。
物が少なく、整理整頓された家の様子に、「いつその時が来てもいい」ように終活をきちんとしていたのではと思いました。
改めて、天国には何も持って行けないんだなと思いました。
物に執着する生き方はやめたいと思いました。

私と妻は服や日用品、壁掛け時計を頂きました。
寝室には旦那さんや私の母、祖母の写真が飾られており、身内を大切にする人だったんだなと感じました。
そして壁には粘土細工で作られた少女の人形が飾ってありました。
昔、我が家にも飾ってあった記憶があり、懐かしく感じていると、私の母が作ってプレゼントした物であることがわかり、胸が熱くなりました。
母の形見として頂くことにしました。

■父のこと
ゴールデンウィークに父に会ってきました。
もう78歳。
誕生日には毎年電話していますが、「ありがとう。もう嬉しくない年じゃけどな」と毎年同じやりとりを繰り返しています。
会うたびに話すことは同じだけど、一人で話し相手がいないから仕方ないし、私が来るのを楽しみにしてくれているようです。
美味しそうにお酒を飲みながら、嬉しそうな姿を見ると、こちらも安心します。
元気に長生きしてほしいです。
■妻の実家で起きた異変
ゴールデンウィーク、妻の実家にも顔を出しました。
妻のお母さんの様子が、いつもと違いました。
イライラして落ち着かず、自分を責めて余裕が無い様子でした。
調べたら、老人性うつのような症状でした。
その後もお母さんの調子は優れず、老老介護でお父さんも限界だったようで、5月下旬「帰ってきてほしい」と妻に連絡がありました。

妻は職場に無理を言って休みを取り、数日間実家に帰ることに。
私も病院の送迎や買い物など、何かできることがあればと申し出ましたが、今回は妻だけで大丈夫とのことで、妻を駅まで見送りました。
お母さんには、私も本当にお世話になってきました。
母を17歳で亡くした私にとって、義母はまるで自分の母親のような存在です。
私のことを家族として受け入れてくれた本当に心の広い人。
数えきれないほど優しくしてもらったことを思い出すと、込み上げてくるものがあります。
■介護は他人事じゃない
妻が実家に帰っている間、お母さんの容体がとても気になりますが、これでこちらが気に病んだら元も子もありません。
まずは、自分の生活をちゃんとすること、目の前の人を大切にすること。
人にはそれぞれ何かしらの役割があります。
自分の家族を守ることをまずは考えることにしました。
家では家族みんなで協力。
長男は料理、皿洗いやゴミ出しなどいろいろやってくれて、いざという時は本当に頼りになります。

☝︎長男が作った野菜炒め(量が少ない。。)
介護職の友人に話を聞くと、介護サービスを使うには「要介護認定」の申請が必要みたいです。
知らないことばかりです。

妻が帰ってきたのは3日後。
お母さんはほとんど横になっていて、ご飯もあまり食べられない様子でした。
でも、妻の献身的な介護で、少しずつご飯が食べられるようになってきたとのことです。
夫婦で介護申請の準備も進めているそうで、少し安心しました。
■「年を重ねること」と向き合う
身近な人たちが年を取り、身体や心の不調が表れる姿を見ると、「年を重ねること」の大変さを痛感します。
友人の父は認知症になり、徘徊して警察に何度も保護されたなど大変な話も聞くようになりました。

でも同時に、それは誰もが通る道。
当たり前のように生きているけれど、自分にもいずれはその時が来る。
いや、確実に近づいている。
どう生きるか。
身近な人たちから学びながら、自分なりの答えを見つけて、少しずつ準備していきたいと思います。

焦らずのんびり行こう♪
Yamapy☆
コメント